いつも応援ありがとうございます。
繰り返し、金融庁が金融機関、特に地方銀行等が不動産へ行って
いる融資の検査その度にをしている、との報道がされています。
その度に、インターネット上では不動産投資は終わりだ、バブル
が弾ける、大暴落だ、などと書き込まれ、賑わっています。
論理的な書き込みが全くといっていいほどないところに、個人的
には面白みを感じます。ただ、それも致し方ないでしょう。
不動産投資に否定的な方は不動産投資の経験がないでしょうから。
流行しているとはいえ、おいそれと誰でも手を出せる投資先では
ありません。
そういった場にもしも不動産投資に肯定的な意見が書き込まれた
としても、すぐに業者認定されてしまいます。大金が絡んでいる
話題ができる場ではありません、匿名のインターネット上は。
もっとも、不動産投資は正義の心で行うものではなくてビジネス
ですから、わざわざ匿名でムキになってその実態を伝えることに
意味など無く。
結局のところ、インターネット上では真実は闇の中でしかない。
当ブログの僕の発言も、彼らには滑稽にしか見えないでしょうね。
業界の事は業界の人間にしか理解できない、と。
そのような話は、あらゆる業界で存在します。医療業界などその
最たる業界です。誰もが思っていても、決して口外できない話は
山ほどあります。
ただ、そのような秘密は微妙に漏れ出ていくもので。漏れた部分
が根も葉もない噂と融合し、様々な憶測やいかにもありそうな噂
が真実であるかのように語られ、集団を洗脳してしまう。
間違った認識を植え付けられる瞬間です。
最近気になるのは、介護と保育についての話題です。
介護と保育は本質が違う?
介護関連の話題となると必ず書き込まれるのが「介護は何も生み
出さない」という部分。老い先短い高齢者の介護など何の生産性
もなく、そんなものに人の金を使うな、との意見。
それに共感を覚える方も多いようで。そこから「介護よりも保育
にお金を掛けるべきだ」「子供に税金を使え」との意見が膨らむ
までが様式美。
子供にはお金を掛けても良い、とは僕も同意しますが、全体的な
論調には同意しかねます。
というのも、介護事業に生産性が無い、との前提が大間違いの為。
保育についても過大評価をし過ぎです。
そもそも「介護離職」との言葉の意味を盛大に勘違いされている
方が以前は非常に多かった。本当は興味が無いのは見え見えで。
「介護」も「保育」も、経済的、労働力的、時間的恩恵を受けて
いるのはその家族。
介護保険がなかったとして、自費で介護を賄えない場合は自宅で
祖父、祖母、またはその上下の世話をする事になります。極めて
不自由な生活を強いられ、それが仕事にすらも影響している。
介護を理由に離職を余儀なくされた状態。それが介護離職です。
介護保険により多くの人が介護事業を利用できるようになって、
崩壊せずに済んだ家庭は数え切れないでしょう。
では保育はというと。
保育所に預ける理由はやはり仕事の為がメインのはず。中には
教育の為とか楽をしたいからといった方もいるでしょうけれど、
そういった方は私費を出せばいい話。
保育も結局、いわば「保育離職」を防げとの話に過ぎません。
政府が絶賛推進中の『女性活躍』という方向性とマッチをして
いるからスポットが当てられているだけであり。
本質的には介護と保育は全くの同列です。限られた国費の中、
どうバランスを取るかの問題の一部に過ぎません。
本質を見ず、表面上は適切な意見を装った感情的な意見に扇動
されてしまうと、認識を大きく間違えます。
そしてそれは最終的に自己の思考を歪められてしまい、思想も
間違ったものとなってしまう。
長期的に、間違った思考、思想は大きな損失を生み出します。
経済的にも、立場的にも、人間関係も。
議論がされるという事はそれだけの難題を内包しているのだ、
と考え、結論を急がないように心掛けるのはとても大切です。
情報に振り回されない
本質を知るには、実際に体験をするのが一番。
医療現場、介護現場で働けば、実際に誰がどのような形で恩恵
を受けているのかが良く見えてきますし。
現場で働く人間はそうしたところで社会貢献ができているのだ、
との実感を得て活力を得ている面もあります。
それをしたくない、できないとなれば意見もせずに関わらない
のが無難でしょう。
無意識に他人と摩擦を作るような真似をし自らの評判を落とす
のは得策ではありません。人としてのステージを上げたいなら
匿名とはいえ控えておくようお勧めします。
まともな議論になる場所で、見合った形での発言であれば何も
問題はないどころか推奨されるんですけれどね。
また、そういった底の浅い意見に振り回されて考えを変えたり、
感情を揺さぶられてしまうのもまた損失です。
せいぜい、そんな考え方の人もいるから注意しておこうと思う
程度にしておきましょう。
意見を機に思考を巡らすのは素晴らしいですが、反論を試みる
のは時間と感情をすり減らすだけで意味がありません。議論を
するに適さない場での議論はしてはいけない。
最終的には、我が道を行くでいいんです。法律的に、倫理的に
間違いでないなら、後は自分で出した結論を表現するだけ。
それこそがアイデンティティというものです。
僕のやっている事も批判を受けやすい部分もある、と感じては
いますが、別に法的にも倫理的にも間違ってはいないとの確信
がありますので、止まりません。
自分が体験している事だけが真実ではないかもしれませんが、
少なくとも自分が体験して感じた事は本質の一部なのですから。
宜しければブログランキングも応援クリックお願いします。
この記事へのコメントはありません。