不動産投資をはじめた時のことを振り返ってみる【2】

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続きです。

前回:不動産投資をはじめた時のことを振り返ってみる【1】

 

新築ワンルームマンションのローン返済を何とかするために僕が選んだ道は、
さっさとローンを繰り上げ返済していくことではなく、ローンを経費化して
負担を軽減することでした。

当時の僕の収入・支出状況から計算する限り、余裕を持った計画で7年程度で
完済可能であると判断していました。

 

しかしそれをしても、7年後、40歳目前にしてまとまった預貯金はほぼ無く、
微妙な収入を出すマンションが残るだけ。

子供が小学生にもなっているのにそんな状況でいいのか。

そんな思いがよぎりました。

 

しかも当時の僕には色々な不安を抱えていました。

東日本大震災から1年。僕は震災の日を福島県郡山市で迎えました。巨大地震
及び福島第一原発事故のことは今でも鮮明に覚えています。

もうすっかり東日本大震災も古い話になってしまいました。

2011年3月11日の出来事。

地震当時、僕は手術室にいました。10歳の女の子の手術手伝いをしていて。

 

手術が順調に進んでいたところに地震が発生。横揺れが大きくなりいつまで
経っても揺れ止まない。

手術室に閉じ込められる危険があると思った僕は、揺れの中イメージ装置の
ロックをして移動し、扉を開けてそこに掴まり揺れが収まるのを待ちました。

目の前には呆然とへたり込んでしまった研修医の女医さんがいましたね。

 

揺れが収まってから、手が空いていた僕は状況確認の役目を買って出ました。

手術室の天井が一部落ちて煙が出ていました(火事ではありませんでした)。
病棟にいって患者さんなどを確認して、とりあえずの被害はなし。

その後は救急外来で、みんながパニックを起こしている中に行きました。

僕はこの時は比較的冷静でいられました。地震直後に妻からメールが来て、
安否が確認できていたからです。返信もできました。

 

はっきりと覚えているのは、整形外科医の半分はセミナーのため北海道へと
出払っていて。

現状を部長に(部長も北海道)伝えるために電話をしたところ、よく状況が
飲み込めなかったようで「よろしく!」で終わったこと。(笑)

僕もとりあえず伝えておこうという程度の意識でしたので気にしなかったの
ですが、後で話を聞くと電話を受けた当初は「何言ってんだコイツ」程度の
認識だったようです。(苦笑)

 

休み時間を利用してスキーを満喫していたところそんな電話がかかってきて、
大きな地震が起きたらしい、でも地震程度でなんで電話してきてんの? と
いった感じで。

その後一休みして休憩所でテレビを見て尋常じゃない状況であることを知り、
それからお通夜モードになってしまったようですが。

幸いなことに関係者で死者や怪我人は出ませんで、良かったです。

 

印象深かったこと

一番恐怖を感じたのは、時の首相であった菅直人氏が原発事故の避難区域を
少しずつ広げていったことです。

あれはさすがに怖かった。2回広がった時点で政府発表は信用すべきではない
と判断し、入院患者の全員の紹介状を用意して、患者さんも我々もいつでも
退避できるようにしておくことを部長に進言。

それを部長は受け入れてくれて、全員に通達されました。そして、あと一回
非難区域が広がったら逃げよう、と言いました。部長が「俺は最後まで残る
けどね」と言ったのが印象的でしたが。

 

幸いなことに(?)それ以後の惨事は起きず、避難区域の拡大もされずに、
地震と原発事故は収束に向かいましたが。

 

もう一つ印象的だったのは。

地震から3日後の昼。良くして頂いていた先輩に「今から車で、下道を使って
嫁と子供を実家に連れて行くけどお前のとこはどうする?」と言われました。

うちも先輩の家も子供が前年に生まれたばかり。復旧の先行きも不透明だし、
原発事故のこともあるしで家族だけは避難させよう、と。

非常にありがたい申し出でした。妻と子供を預け15時に出発し、到着は24時。
ガソリンの供給も危ない中、9時間ものドライブをしてくれました。

今でも感謝しています。おかげで僕の懸念は無くなりました。

 

妻はその日は先輩実家に泊まり、翌朝新幹線で僕の実家まで移動。新幹線も、
同日昼より電力の問題で止まることになり、まさにギリギリの脱出でした。

僕はすっかり安心し、だだっ広い家でやることもなかったため早くに就寝。
たまたま目が覚めてテレビを点けたら……。

震度6強の地震のニュース。しかも、完全に僕の地元。さすがにびっくりして
すぐ電話してみると、とりあえず皆無事な模様。

あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! 妻子を避難させたと思ったら、
避難先で震度6強の地震が起こった。何を言っているか(略)。

と、そんな気分でした。(笑)

 

己の無力さ、危機感の無さを実感

以後は、皆さんと同じような感じです。物資の供給が確立するまでは手術も
できませんでしたので2週間はいかに暇を潰すか、いかに自分の手持ち物資を
使わずに過ごすかを皆考えていました。

テレビでは「ぽぽぽぽーん」に洗脳され、夜は開いている飲み屋を探しては
終業時間とともに皆でそこに行き。

日々、放射線の値が減っていくのをニュースでチェックをしながら、この先
どうなるかを皆で話していました。

 

このような震災の経験があり、妻の投資用マンションの告白を受けた時の僕
の精神状況はいかに自分が無力であるか、家族も自分も守ることができない
人間であるかを思い知らされ、このままではいけないと高ぶっていました。

それが、僕に尋常ではないほどの強い行動力を与えたんです。

 

続きます。

 

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    • しょう4120
    • 2015年 2月18日

    私の不動産投資のきっかけは、阪神淡路大震災です。
    家屋全壊の更地から、始まりました。
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    共感いたします。
    1歳の子と妻のお腹には第二子が、おりました。
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      • きりのき
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    • らくだ大家
    • 2015年 2月19日

    私も、不動産投資を始めたの転職して無力感を感じてからですね。
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    それから2年後にアパートを買い増していったので、時期的には同じくらいからだと思います。

    リーマンショック以来の低成長で解雇される人もいたでしょうし、精神的にやられてた人もいたでしょうし。

    そう考えると、前向きに踏み出したというのはそれなりの意味があったのかなあと思うんでしょうね。
    まだ空室ありますけど、頑張って埋めていきたいと思いました。笑

      • きりのき
      • 2015年 2月19日

      やはり不動産投資は(実際にリスクが高いかどうかはともかく)大きな
      リスクを抱えようという気持ちが必要な分だけ、スタートに何かしらの
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      窮地に立った時にどういった行動を取ろうと思えるか。その人の本質が
      見えるのだと思います。

      僕もまだまだ長く経営をしていかないといけませんので、度々振り返り
      少しでも空室を少なく、安定した経営をすべく努力したいと改めて思い
      直しました。

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2014年4月不動産投資を始める際に最も重要なリスクヘッジの仕方。

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