いつも応援ありがとうございます。
何回目かの話題かもしれませんが、結構大事なことですので繰り返します。
僕はオカルト論者です。神様はいると思っていますし、運を良くすることは
可能だと信じています。ここまで三十余年の人生を振り返ると、より一層
それを確信します。
オカルトといっても、以前もお伝えしたように宗教じみた話ではなくて、
現実的な内容です。
いわゆる、「信じるものは救われる」とか「努力は報われる」とか、その手の
意味合いになります。
非常に誤解を招きやすい言い方になりますが、一言ですっぱりとまとめると。
「正しい行いを続けていれば必ず願いは叶う」
です。
僕が大学受験で意識したことは唯一つ
僕は人より多く勉強をしたとはとてもではありませんが言えません。
だから、大学受験時代、10以上の大学の医学部を受けましたが、最終的に合格を
頂いたのは2つだけでした。ぎりぎり運が良かった程度です。
もしも僕が「より正しい行い」をしていたとすれば、今よりももっと偏差値の
高い大学へ入学することができていたかもしれません。
受験生の正しい行いとは何か。もちろん受験勉強に励むことです。
僕は受験勉強をあまりしなかった。ただ、学校へは真面目に通いましたし、
授業もしっかりと聞いていました。親が薦めるままに塾にも通いましたし、
英語だけは特に苦手だったので家庭教師からも学びました。
自発的な勉強はあまりしていませんでしたが、親からみれば比較的優等生だと
思われていたのではないかと。
その生徒としての「正しい行い」が何とかぎりぎりで現役医学部合格を呼んだ、
運を引き寄せたのだと思います。
ただ、例えば僕のしてきた「行い」も、東大理科三類を現役で合格するためには
全く「正しい行い」とは言えなくなります。
僕の視点では東大理三に合格する人間は変態としか思えません。僕にはちょっと
できないしやりたくもない勉強量を誇ります。僕からすると人並みはずれた努力を
したんだろうなあと感じてしまいます。
しかしこれは推測ですが、現役で東大理三に合格した人にとっては当然の努力、
なのではないでしょうか。東大理科三類を現役合格するための「正しい行い」
をしただけである、と。
東大理三を合格した人に感想を聞けば、結構な人が「運が良かった」と答えるかも
しれません。ただしそれも、偶然ではなく必然。
正しい行いをすることで運は良くなります。自分が解ける問題が出る可能性が高く
なりますし、解答に迷った時も微かな記憶や直感により正答を選ぶ確率は上がる。
正しい行いをすることで運を良くすることができるとはそういうことです。
行いは積み重なっていくものですから、もしも合格できなかったとしたらそれは
どこかでの行いが正しくなかったとしか言えない。そしてそれを自覚し、反省を
することができなければ進歩はない。
浪人を繰り返してしまっている方は、「大学合格」に対するこれまでのツケを
払い終わるまで合格できません。
もしも僕が高校2年生あたりで東大理三に入る、なんて目標を立てていたとしたら、
それまでの数年分のツケを払うのにどれほどの努力が必要だったことでしょうか。
法律について何も知らない人が弁護士の資格を取ろうとするのと同じ程度には
時間と労力を勉強に割かなければいけなかったでしょう。
結果が正しさの証明となる
正しい行いさえしていれば何も恐れることはないんです。
不動産投資やその他のビジネスでもそれは同じ事。不動産投資である程度の収入が
得られているのも、このブログが日に2000近いアクセスを得られるようになったのも
僕が目標に対して正しい行いをしてきたからです。
何棟もの物件を所有し、脱サラして自由な生活をしておられる著名な不動産投資家が
そんな生活をしていられるのも、それまで「正しい行い」として多くの努力や決断を
繰り返してきたからです。
問題は、何が「正しい行い」なのか、を見極めること。
結果が出るまでは正しいかどうか分からないじゃないか、と言われると、
正にその通りです。しかし、一般論として何が正しいかは、ほとんどの
場合は分かるはず。
不動産投資で言えば収益性の良い不動産が欲しいなら足を使ってリサーチを
繰り返しなさいと誰もが言うでしょうし、融資を受けたいなら自己資金を貯め
属性を高め、実績を作りなさいというのが一般論として正解です
どれだけそれを積み上げられるか。ポイントはここにあります。
前述のように、それまでのつけを払い終わらなければ目標は達成できません。
つまり、人によってどの程度の時間を掛ければ、どのくらい努力をすれば
目標を達せられるかは異なります。
でも、願いを叶えたいならやるしかない。続けなければ絶対に成功できないんです。
僕が「正しい行いを続ければ必ず願いは叶う」とオカルト論を言い続けているのは
自分を励まし、継続した努力を続けるための方便でしかありません。
しかし結果として、これまでの人生で目標のために正しいことをしたと自負できる
事柄で目標を達成できなかったことは一度もありません。
失敗してしまったことは数多くありますが、どれもこれも間違ったことだらけでした。
そして、続けることができなかった。
運も悪かったのでしょう。それも、自分の責任です。
折れない心こそ最強の武器
僕はこの持論があるからこそ、強く行動ができるのだと思います。
不動産投資で思い切った行動ができるのも、ブログを途切れることなく更新を
し続けることができるのも、努力は必ず報われるとの想いが強いからです。
苦しい時も何度もありましたが、がむしゃらに続ければ道が見えることが
あるのもこのオカルト論が正しいが故であろうと信じています。
自分にはできないと途中で、あるいは最初から諦めていませんか?
それは「できない」ではなく、「やっていない」だけです。
目標の設定を大きくし過ぎてしまうと大変ですが、現実的に可能そうだと思える
目標であればとにかく心折れることなく続けてみて下さい。
きっと僕のオカルト論が正しいことに気がつくはずです。
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